高校時代、私は柔道部でした。
余談になりますが、私の母校は、旧制中学時代の柔道部は何度も
全国制覇 していたのでした。
・・・「寝技の津中」と呼ばれて、高専柔道といった寝技を中心とした
柔道の発祥の地でした。(マニアックな人はご存知かと?)
以前、この高校の柔道部に、あの山下泰裕先生が見学に立ち寄られた
こともあります。ちょうどその頃、私は中学生で山下先生の訪問を見学
に行ったのでした。握手とサインをいただいたのですが、
「なんだ、この辞書は!! 分厚すぎる!」
これは、握手をした時の感触でした。
その分厚い手の平の感触今でも記憶に残っています。ありえない・・・・!
ちなみに、その時のサインは「闘魂」と書かれていました。
(猪木じゃないですよ)
さてさて、閑話休題。
そういう高校ですので、大変熱心な指導の先生がいらっしゃいました。
自宅に柔道場を持っていて、生徒を指導していました。
よく生徒を柔道場に寝起きさせて、合宿なんかさせていたのです。
ある春合宿でのことです。
朝のランニングコースは、山道です。
ごろごろと大小の石の転がったデコボコの上り道、下り道を20分ほど
走ります。
気をつけて走らないと、すぐに足を取られます。
ある友人が、転げてしまいました。石を踏んでしまったようでした。
私は「目に見える石なので避ければ?」と不思議でした。
彼が言うには「よけなくてはと思って、石を見ていたんだよ。
そしたら、そっちに引き寄せられて踏んでしまった」・・・
踏んだと思ったら後は慌ててしまって、
ふむふむ。なるほど。
危ないほうばかりに気を取られていてはだめなんだ--ということの典型
ですね。危険な石だ危険な石だと意識を向けすぎると、見ている石の
ほうに引き寄せられてしまうものです。
石を見るなと言っているのではありませんよ。ます危険な石だということを
認識しなければいけません。そしたら次には、石のないところに目を向ける
ようにすると良いのです。次に移る行動に目を向けないといけないのです。
ここでの山道でのランニングは、バランス感覚養成足腰の鍛錬の意味も
ありますが、その先生のおっしゃるには、状況判断、イレギュラー
対応能力を磨くことだったのです。
護身術でも同じです。
危ないほうにばかり気を取られていると、対応が遅れます。
危険を察知すれば、次にどうするかということに目を向けることがが
大切なのです。
次どうするのかに目を向けるというのは、今回の場合、不安定な石を
見たら石のないところに目を向け、もし石を踏んでしまったら次どう
バランスをとるかに目を向け、それでも転んでしまったら、次どう起き
上がるかに目を向けるのです。
護身術には失敗はないということが言えるのです。
あるのは、今ある状況から次どうするかだけです。
修業は続く!
2009年1月12日月曜日
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